




東上線が開通し、小川町駅の開設から13年、1925(大正14)年4月10日、「小川実習女学校」が開校しました。当時の修業年限は2年間で、授業料は月額50銭でした。1927(昭和2)年に校名を「小川実科高等女学校」と改称しし、修業年限は4年間となりました。
1928(昭和3)年に県立移管され、「埼玉県立小川高等女学校」と改称、第1回入学式が4月16日に行われ、それ以来この日を開校記念日としました。1929(昭和4)年11月9日、第1回運動会が行われました。1934(昭和9)年、八高線が開通、竹沢駅が開設されました。「栄養給食」が始まり、副食が出されました。生徒はご飯を持参しました。
1941年(昭和16)年に太平洋戦争が開戦し、1942(昭和17)年になると、非常時の制服としてもんぺ通学となりました。1943(昭和18)年には、小川高女報国隊が、1944(昭和19)年には卒業生の小川高女女子勤労挺身隊が結成され、軍需工場に動員されました。
1947(昭和22)年に日本国憲法が施行され、教育制度改正によって6・3・3制の新学制となりました。この頃から、全日制では、音楽、気象、書道、美術、バレー、バスケット、卓球などの部が次々と発足しました。1949(昭和24)年、「埼玉県立小川高等学校」と改称し、1950(昭和25)年から男女共学制を実施、男子40名が入学しました。1963(昭和38)年には1学年の募集人員が450名となりました。1968(昭和43)年、学園紛争全国に広がり、本校でも生徒会主催テーマ別討論会、弁論大会だどが開催されました。1969(昭和44)年になると、他校とのクラス交流会や生徒の自主活動が活発になりました。
1970(昭和45)年に男子の入学者は0となり、1972(昭和47)年には全学年女子のみとなりました。1973(昭和48)年に男子4名が入学しました。徐々に男子が増加し、3年後にはサッカー部、柔道部、剣道部が発足しました。1977(昭和52)年、3年生のコース制を廃止、教科選択制となりました。1979(昭和54)年、改築のため、木造校舎が取り壊しとなりました。
この年の全日制生徒定員1,175名をピークに学級減の時代へと入っていき、現在の定員は240名となっています。
下の三角ボタンを押すと校歌が再生されます。